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岩船寺(がんせんじ)は、京都府木津川市加茂町岩船にある真言律宗の寺院。山号は高雄山(こうゆうざん)。本尊は阿弥陀如来。開山は行基と伝える。アジサイの名所として知られる。

歴史
岩船寺は京都府の南端、奈良県境に近い当尾(とうの)の里に位置する。この地区は行政的には京都府に属するが、南山城は地理的には奈良に近く、文化的にもその影響が強い。近くには九体阿弥陀仏で知られる浄瑠璃寺がある。岩船寺、浄瑠璃寺付近には当尾石仏群と称される鎌倉時代を中心とした石仏や石塔が多数残り、その中には鎌倉時代の銘記を有するものも多い。当地は中世には、南都(奈良)の寺院の世俗化を厭う僧たちの修行の場となっていた[1]。

「岩船寺縁起」によると当寺の創建は、天平元年(729年)に聖武天皇が出雲国不老山大社に行幸した際の発願によって大和国鳴川(現・奈良市東鳴川町)の善根寺(鳴河寺)にいた行基がその境内に阿弥陀堂を建立したことに始まる。

大同元年(806年)、空海とその甥であり弟子でもあった智泉が、善根寺に灌頂堂として報恩院を建立する。この報恩院が岩船寺の直接の草創であるとする。

そこに、嵯峨天皇が智泉に命じて皇子誕生の祈願をさせたところ弘仁元年(810年)に正良親王(仁明天皇)が誕生し、弘仁4年(813年)には檀林皇后(橘嘉智子)が本願となって堂塔伽藍が整備された。この時に寺号を岩船寺と改めている。 弘安2年(1279年)に寺基を現在地に移し、弘安8年(1285年)には落慶供養が行われている。

以上の伝承はそのまま史実とは考えがたいが、『弘法大師弟子伝』(貞享元年・1684年成立)には、大同年間(806年 - 810年)、嵯峨天皇の皇后橘嘉智子が皇子の誕生を祈願して報恩院を建立し、智泉が呪願(願文を読む僧)を務めたとある。

その後、承和年間(834年 - 848年)に仁明天皇が智泉の遺徳を偲んで三重塔を建立したとされる。